臨時政府の「対日宣戦布告」64周年の記念式
国家報勲処は9日午前、白凡(ベクボム)記念館・大会議室で、
大韓民国臨時政府が日本に宣戦布告した「対日宣戦布告日」の64周年を迎えて記念式を行う。記念式には朴維徹(パク・ユチョル)報勲処長をはじめ、独立運動関連団体の首長と光復(独立)会員ら約300人が出席する。
「対日宣戦布告日」は、日本が真珠湾を攻撃した翌日の1941年12月9日で、臨時政府が奪われた国権を取りもどすため、日本への宣戦布告を行ない、声明書を発表した日。臨時政府は、この日から連合国の一員でとして参戦した。(引用ココマデ
( A ) ゜ ゜ ポポポポポポポポポポポポポカーン
何この妄想wwww
まず是が国としてやってることが怖い。怖すぎる。
臨時政府・・・・あぁ
韓国光復軍のことか・・・・・。
以下Wikipedia
光復軍総司令部創設式典は重慶の嘉陵賓館で挙行され、総司令官には李青天(一名・池青天、本名・池大亨)、参謀長に李範ソク、総務処長に崔用徳、参謀処長に蔡衡世などがそれぞれ任命された。光復軍は当初4個支隊で編成され、第1支隊長に李俊植、第2支隊長に金学奎、第3支隊長に洪震遠、第5支隊長に羅月煥を任命した。しかし羅月煥が西安で暗殺され、その他も工作不振で光復軍創設1年後にようやく
300人ほどの兵力を確保しただけだった。
(中略)
1941年11月中国政府は『援助韓国光復軍辧法』を作って軍事援助に同意したが、この法が制定されてから20日後、12月8日の真珠湾攻撃が起きてアメリカが参戦、中国は対日宣戦布告を行い、臨時政府も
12月10日対日宣戦布告(日本政府に布告文書は通達されておらず、実効性は皆無)を行った。1942年4月20日金元鳳の朝鮮義勇軍が光復軍第1支隊に編入され、2個支隊編成に改編された。
光復軍は作戦計画として中国戦線での招募・訓練などと戦闘部隊への編入、韓国内での地下軍組織及び破壊工作、太平洋方面で派遣司令部設置と韓国人同胞への再訓練、韓国飛行隊の設立などを構想した。
へぇーそんなのあったんだ。しかし実効性が皆無なんだったら宣戦布告したことにならないんじゃないのか・・・?そのうえ、戦闘した記録がないってどういうこと・・・?というか、朝鮮半島て当事日本だったし、普通に日本兵として戦った人もいるんだが・・・・彼らはどう説明するんだろ?オマケに
・サンフランシスコ講和条約で連合国と講和条約結ぶ時に韓国呼ばれてない
・マッカーサーに『朝鮮人は戦勝国民に非ず。第三国人也』と言明されてる
・そもそも日本軍と戦ってない
・・・・何この黒歴史(;´A`)
これが歴史の書き直し作業の成果か・・・・・