しっかしこれはまたでかいニュースが出てきましたな・・・・。しっかし昭和陛下の生前のお言葉等を考えると、この発言本当にあったのか俄かには信じがたいですが・・・。
昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ
特定アジアニュース様に詳しく記事書いてますが、
靖国神社についての発言メモは八八年四月二十八日付で、手帳に張り付けてあった。
あとは朝日の全文。
(
昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀)
私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私あれ以来参拝していない それが私の心だ
・・・これ・・・どうなんだろ。
ダイレクトにA項戦犯合祀を批判されたのか?
松平は(靖国神社の)平和に強い考があったと思うのに
っと考えると、昭和天皇はA項戦犯の合祀を理由に中韓から永遠に文句を言われ続ける今日の状況を俯瞰されてたのではなかろうか、という推測も成り立つんじゃね?
あと、メモ書きだからかも知れんが、『考』『だから私あれ・・』と、送り仮名の省略がまるで中国人の様に不自然じゃないか・・・?
まさか、ね・・・。そこまでしないよなぁ・・・・。
(´・ω・)とりあえずざっと読んで疑問点。
・『貼り付けてあった』?普通は手帳に書き込むんじゃないのか?
・白鳥⇔白取。普通間違えるか?
・その割には例大祭には勅使が遣わされてるんですが・・・。
⇒
靖国神社
んま、陰謀論を唱えたらどっかの小沢民になってしまうから、疑問点は置いといて。普段『皇室は政治に関わるべからず』を声高に言明し、あまつさえ陛下のお家に関わる大事である皇室典範に対して言葉を述べられるのさえ難色を示していた朝日新聞がコレを大々的に取り上げているのはちょっとビックリしました。
私は、
桜日和様と同じ意見なんですが、
『で?何?』
としか言い様が・・・。昭和天皇がA項戦犯の合祀を快く思っていなかったかも知れない。だからと言って、総理がそれに従うべきか?というとそうではないだろ。それこそ、ご皇室を政治の道具に使うことに他ならないではないのか?
そもそもこのメモを残した富田朝彦氏も、昭和天皇も、このメモを靖国否定論として大々的に取り上げることを望んでないと思うのだが、どうだろ。
少なくとも私は、喩え昭和天皇がA項戦犯の合祀に対して否定的な意見をお持ちであらせられたとしても、そこにA項戦犯が祀られているという事実を認識した上で、靖国には参拝します。当然総理の靖国参拝を支持します。
A項戦犯に何が罪があったのか、と考えると、"平和に対する罪"ってのが何かは分からんが、"失政により戦争に負けた罪"が国内的にはあると思う。んで、その失政に対して死を以って償った。その後も、慰霊することすら許容しないほど日本人は偏狭ではないんじゃないの?どんな犯罪者の家族も、その犯罪者を慰霊するでしょうよ。(A項戦犯が真に犯罪者か?って議論はとりあえずはおいといて)
死者を貶すのはいい加減にしてもらいたい・・・。失政に対して命を持って償う矜持もない現代の政治家がそれを批判するのは見ててなんつーか、こう・・意地汚い?みすぼらしい?んですが。
そして早速朝日が援護射撃
「天皇参拝せぬ靖国に首相が行く矛盾」 カーティス教授
靖国神社参拝問題が、外国にいわれて問題になったのではなく、もともと日本国内の政治問題であることが明らかになった。A級戦犯を合祀することは戦争を肯定する象徴的な意味がある。外国から見てもおかしいし、日本の天皇から見てもおかしいということだ。天皇陛下も参拝しない靖国に総理大臣が行くべきだというのは矛盾している。
国内の政治問題に外国から文句言う方が矛盾していないのか?
あと、ごめん何がどう矛盾してるのかが理解できん・・・。天皇陛下がご親拝するから靖国神社があるのではなく、靖国神社があるから天皇陛下がご親拝されるのではないかい?
おまけに中国からも援護射撃
「早く障害除去を」昭和天皇メモ報道で中国
「中日関係の発展に対する我々の態度は明確であり、一貫している。できるだけ早く関係発展の障害を取り除くことを望む」
障害ってアジアの放火魔・(-@∀@)のコトだろ?w
まぁ、経過を見守ります。
昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ
昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての歴史的価値も高い。 (07:00)
昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀
昭和天皇が死去前年の1988年、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されたことについて、「私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などと発言したメモが残されていることが分かった。当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が発言をメモに記し、家族が保管していた。昭和天皇は靖国神社に戦後8回参拝。78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝していなかった。A級戦犯合祀後に昭和天皇が靖国参拝をしなかったことをめぐっては、合祀当時の側近が昭和天皇が不快感を抱いていた、と証言しており、今回のメモでその思いが裏付けられた格好だ。
メモは88年4月28日付。それによると、昭和天皇の発言として「私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま)までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記されている。
これらの個人名は、日独伊三国同盟を推進し、A級戦犯として合祀された松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使、66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取ったが合祀していなかった筑波藤麿・靖国神社宮司を指しているとみられる。
メモではさらに、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」と続けられている。終戦直後当時の松平慶民・宮内大臣と、合祀に踏み切った、その長男の松平永芳・靖国神社宮司について触れられたとみられる。
昭和天皇は続けて「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と述べた、と記されている。
昭和天皇は戦後8回参拝したが、75年11月の参拝が最後で、78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝しなかった。
靖国神社の広報課は20日、報道された内容について「コメントは差し控えたい」とだけ話した。
《「昭和天皇独白録」の出版にたずさわった作家半藤一利さんの話》メモや日記の一部を見ましたが、メモは手帳にびっしり張ってあった。天皇の目の前で書いたものかは分からないが、だいぶ時間がたってから書いたものではないことが分かる。昭和天皇の肉声に近いものだと思う。終戦直後の肉声として「独白録」があるが、最晩年の肉声として、本当に貴重な史料だ。後から勝手に作ったものではないと思う。
個人的な悪口などを言わない昭和天皇が、かなり強く、A級戦犯合祀(ごうし)に反対の意思を表明しているのに驚いた。昭和天皇が靖国神社に行かなくなったこととA級戦犯合祀が関係していることはこれまでも推測されてはいたが、それが裏付けられたということになる。私にとってはやっぱりという思いだが、「合祀とは関係ない」という主張をしてきた人にとってはショックだろう。
靖国神社への戦犯の合祀(ごうし)は1959年、まずBC級戦犯から始まった。A級戦犯は78年に合祀された。
大きな国際問題になったのは、戦後40年の85年。中曽根康弘首相(当時)が8月15日の終戦記念日に初めて公式参拝したことを受け、中国、韓国を始めとするアジア諸国から「侵略戦争を正当化している」という激しい批判が起こった。とりわけ、中国はA級戦犯の合祀を問題視した。結局、中曽根氏は関係悪化を防ぐために1回で参拝を打ち切った。だが、A級戦犯の合祀問題はその後も日中間を中心に続いている。
昭和天皇は、戦前は年2回程度、主に新たな戦死者を祭る臨時大祭の際に靖国に参拝していた。戦後も8回にわたって参拝の記録があるが、連合国軍総司令部が45年12月、神道への国の保護の中止などを命じた「神道指令」を出した後、占領が終わるまでの約6年半は一度も参拝しなかった。52年10月に参拝を再開するが、その後、75年11月を最後に参拝は途絶えた。今の天皇は89年の即位後、一度も参拝したことがない。
首相の靖国参拝を定着させることで、天皇「ご親拝」の復活に道を開きたいという考えの人たちもいる。
自民党内では、首相の靖国参拝が問題視されないよう、A級戦犯の分祀(ぶんし)が検討されてきた。いったん合祀された霊を分け、一部を別の場所に移すという考え方で、遺族側に自発的な合祀取り下げが打診されたこともあるが、動きは止まっている。靖国神社側も、「いったん神として祭った霊を分けることはできない」と拒んでいる。
ただ、分祀論は折に触れて浮上している。99年には小渕内閣の野中広務官房長官(当時)が靖国神社を宗教法人から特殊法人とする案とともに、分祀の検討を表明した。日本遺族会会長の古賀誠・元自民党幹事長も今年5月、A級戦犯の分祀を検討するよう提案。けじめをつけるため、兼務していた靖国神社の崇敬者総代を先月中旬に辞任している。
「天皇参拝せぬ靖国に首相が行く矛盾」 カーティス教授
<ジェラルド・カーティス米コロンビア大学教授(政治学)の話>
昭和天皇が、靖国神社のA級戦犯の合祀に強い不快感を示していたことが明らかになったことの意味は大きい。靖国神社参拝問題が、外国にいわれて問題になったのではなく、もともと日本国内の政治問題であることが明らかになった。
A級戦犯を合祀することは戦争を肯定する象徴的な意味がある。外国から見てもおかしいし、日本の天皇から見てもおかしいということだ。天皇陛下も参拝しない靖国に総理大臣が行くべきだというのは矛盾している。
天皇の発言が明るみに出たことによって、国内問題としての靖国神社参拝問題がもっと議論されるのではないか。
戦中戦後を通じて天皇だった昭和天皇が「天皇陛下万歳」を叫んでなくなった兵士がまつられている靖国神社の参拝をやめるほど、A級戦犯合祀にこだわっていた。天皇の言葉を次の総理候補も真剣に考えて、靖国神社問題の新しい解決のあり方を考えるべきだ。
「早く障害除去を」昭和天皇メモ報道で中国
【北京=杉山祐之】中国外務省は20日、昭和天皇が靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示していたとする報道について、「中日関係の発展に対する我々の態度は明確であり、一貫している。できるだけ早く関係発展の障害を取り除くことを望む」とする報道官談話を発表し、小泉首相の靖国参拝を中止するよう改めて求めた。
中国は、A級戦犯合祀を理由に、首相の靖国参拝に強く反発している。